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二十五年一月、はじめて男子が生まれました。光博は元気に育ちましたが、二歳、三歳になっても言葉が出ません。耳が聞こえないとは思ってもみませんでした。
本郷の東大病院へ連れて行きましたが、光博はあばれて先生は診察できず、「もっと大きくなったら連れて来るように」と言われました。生活が苦しい中、やっとの思いで行ったのに、みじめな思いで帰って来ました。いま思うと、「なんでもっと先生にお願いして見てもらわなかったのか」と残念でなりません。終戦後の物のない時代で病院も大変な混みようでした。
三十一年、光博も学校へ行く歳になりました。区役所で足立ろう学校へ行くことを知らさせていただき、通学は無理なので寄宿舎へ入れました。親から一時も離れたことのない子供を預け、先生に促されて夕暮れの迫った畑の中の細い道を、追われるように帰って来ました。狂ったように泣いているであろう光博に、申し訳ないと私も泣きました。
足立ろう学校で幼稚部、小学部、中学部と勉強させていただき、何もわからない子供に読み書きから算数など、砂に水がしみ込むようにたくさんのことを学ばせて頂きました。お友たちとも仲よく、そして私もお母さん方とも姉妹のように何でも話し合いました。とても楽しく暮らすことができました。
主人の職が自分に合った仕事がなく給料も少ないので、親子六人が食べていくのがやっとでした。でもお陰さまで、みんな丈夫で病気一つせずに生活できました。
高校は石神井校に入学しました。学校まで家から二時間ほどかかるので心配しました。高校では野球部に入り毎日、張り切って行っていましたが、遅刻の常習犯らしかったようでした。

 

 

 

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